2016年2月 3日 (水)

京都2日目

Img  朝、平良さんとホテルロビーで打ち合わせ。たくさんの宿題をもらって、どうしよう?

その後 京都近代美術館、志村ふくみ展にO君のとNさんと行く  会場前で芭蕉布ツアー参加者のMさんとバタリ出会う。 会場では志村さんのお孫さんを紹介してもらう。ふくみさんは孫が継いでくれるので また張り切って学校など作ったと聞いた。
 志村ふくみ染織学校の生徒 Fさんと昼食 その後問屋に挨拶のあと
紅型 城閒家3代展  城閒栄一君に合いに行く。城閒工房は紅型宗家として由緒あるところ。栄一君の襲名披露の展示会である。 京都産業会館までで高知の江上さんとばったり出会う。
 とにかく今回の出張は偶然の出会いばかりであった。

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2016年2月 2日 (火)

boro展からミヤコメッセ沖縄工芸展へ

2月1日 まづ O君 Nさんと待ち合わせて 神戸ファッション美術館でBoroの美学展へ そこで学芸員のWさんとお会いした。彼女は昨年の葛布ワークショップ参加者。 田中忠三郎さんのコレクションは 圧倒的である。布の本質をボロたちが語っている。もったいない=物体ではない そんなメッセージをかんじる展示であった。

布に携わっている人全てに見て欲しい 企画である。
 その後ミヤコメッセへ 地下鉄の駅を降りると 誰かに呼ばれた! タクシーに乗ったTさん。 ツアー参加者である。奇しくもここで昨年のアイヌツアー参加者が4名そろう。
 会場では 紅型の屋富祖さん 宮古上布の上原さんにも出会う。下村撚糸の下村さんにも会った。 とにかく多くの知り合いに出会った。
 O先生と 平良さん、O君、Nさんと ギャラリーKへ そこには一昨年のワークショップ参加者 龍谷大のO教授が・・・・。 しばらく布をさわって熱く語っていたのだが、そこに昭和村のW君が・・・・ 。びっくりである。
 その後河岸をかえて 夕食 途中染織αのSさんと出会い 一緒に飲みに行くことに・・・。
 なんだろう とてもたくさんの知り合いにであったすごい日であった。
もちろん、こんなたくさんの人と出会い、その都度 布談義をしたのはもちろんである。
 高瀬川添いの料亭にて 染織談義を一流の人たちとできて ご機嫌な私です。
Photo

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2015年10月16日 (金)

工房の織機

ワークショップでは8台の織機をだしていたのだが、作業の邪魔になったので

織機3台を分解してかたづけている。
 工房にどのくらい機があるのか 数えてみた。
葛布用高機5台 卓上リジット機3台 
高機8台・・・・・・その内2台はまだレストアしてなくて眠っているが・・・
稼働できる高機は合計10台
どれも古い機なので愛着がある。

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2015年10月 8日 (木)

阿波一宮 大麻比古神社にて考えた事

 徳島板野町に Iさんという 楮布を織っている方がいる。

久しぶりに彼女の工房を訪れた。

 その後近所の大麻比古神社を参拝してきました。

この神社の縁紀には 麻楮の種を播植し、麻布木綿を製して・・・云々

とありました。 ここで啓示をうけたのですが、

大麻(おおあさ)があるなら小麻、中麻があったかもしれない。

あ、さ は言霊でいえば あ=根源的な物=神 さ=分かれる、割ける、の意

で「あさ」は神の力が広がった物といえるでしょう。

 ですから現在ある 大麻草=あさ ではなく 神事に使う 神の霊力が宿った植物繊維を

「あさ」といい、後に大麻草が 入ってきて、より霊力が強かったので、以前に存在した「あさ」と区別する為に「おおあさ」といったのではないか。

 小麻とか 中麻とかいう言葉は無いが、以前に有った「あさ」と区別するために「おおあさ」=大麻と称したと思う。

では「おおあさ」とくべつされた「あさ」は何だったのだろうか?

それは「木綿」と書く「ゆう」であるとおもう。大麻以前の布 「由布」もしくは「木綿ゆう」

 その素材は 楮であったと思うが、藤布、葛布もあったかもしれない。

阿波志には

阿波志巻六(三好郡)の「土産」に「麁布 郷名達非以穀/出葛藤作」とあります。

葛藤が 葛、藤を意味するか、葛藤で葛のみを意味するか不明ではあります。

絹以前 麻以前の布のことが気になります。

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2015年9月 9日 (水)

手織りを仕事に4 5W1H

一人で工房を開いて そこで生計を建てるとなると 自分の作品が売れるか?ということである。

 いくら作品をつくっても それが売れなければ 生活できないのが現代の時代である。
そこで 5W1H の考え方が有効である
Who    誰が・・・ 当たり前のことのようだが、あなたなのか、工房名なのか
そして 作り手はどんな人なのか? 当たり前と思って深くかんがえていないかもしれない。
Where どこで・・・ 店で売るのか、ネット販売か、フリーマーケットで売るのか?デパートで売るのか 注文を受けるのか?  
When    いつ・・・・ 売る場所を設定しても いつやるのかはっきりしないと
What なにを・・・・作品構成を考える必要がある あなたは何を売るのか?
Why 何故?・・・・ なぜその作品を作るのか
そしてもう一つのW
whom  誰に・・・・ 販売顧客のイメージはできているのだろうか?
Hは How どのように・・・・売り方
もう一つHを追加すると How much  いくらで? 価格政策である
Hを追加 How many   どのくらいの量を・・・
5W1Hが 6W3Hになってしまったが、このことを考える事が基本になる。
 

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2015年8月12日 (水)

手織りを仕事に 3

豊かさとは本来お金の多寡ではない。しかし現代社会においてお金はある程度必要である。 ましてや手織りを仕事にするということは 作品をお金に換えるということである。 

 手織りという仕事をしている方は 本質 豊かである。素材に向かい、染色に携わり、一本一本織り上げて布にする手仕事ほど 豊かな生活はない。
 基本 才能も意欲も努力もない方は豊かになれない。しかし手織りを仕事にしている人は 才能も、能力も有り余るほど豊かである。その豊かさの一部をお金に換え、生活の安定に変える手助けができると思う
 実際、私が大井川葛布を起こしたとき、何も無かった。しかし全てが有った。
内包されていた。それを 少しずつ絡まった糸をほぐすように現象かしていった。その経験を踏まえて 語っていきたい。

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手織りを仕事に 2

 手織りで充分生活ができ、制作に邁進している方については 私がとやかく言うことはない。私が心に留めているのはこれから染織を仕事にしようとする方、現在手織りの仕事をしているのだが、十分な収入がなく、生活に困っている方なのだ。

 手織りという尊い仕事をしている方が「貧乏」であってはならない。むしろ生活を含めて「豊か」であるべきであり、「豊か」であるはずである。
 顧みるにせっかく熟練した技量を持ち、素敵な作品を作ってる多くの方が、生活の為によそでバイトをしたり、バイトにかまけて作品が作れなかったり、仕舞には
手織りを仕事としてできなくなったり・・・・・ 多くの残念な事例がある。
しかし、彼らには素晴らしい技量と才能がありセンスがある。このまま朽ち果てさせるには惜しいし 私を含めた手織り染織業界の損失でもある。
 先日の葛布ワークショップで ある作家から相談を受けた事で 今まで考えてきたこと 私がやってきたことで 参考になることがあるならと思い いろいろ書き出していきたいと思っているDsc_2478

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手織を仕事に

「手織が生計を立てる仕事になり得るだろうか?」

染織をめざして勉強している若者たちが抱える疑問の第一であろう。
 最近は染織が生活の一部として、染織品も売り、農業をやり、バイトもやり、生活していこうとする若者も出てきている。染織が生活の一部として行くことに 新しい潮流を見ることができる。
 結婚をして 生計の主要部分を夫に(または妻)に任せて、染織をしている方もいる。その中には 伝統工芸展など ハイレベルな展示会に入賞するような方もいる。生活に追われて 特別な作品を作る時間のないプロより 生活の不安無く、コンペ用の制作に充分時間を掛けて入賞、受賞する方が最近は増えてきているようだ。
 止まれ、いろいろな染織作品のあり方があるだろうが、その方たちは「生活」できているので、私ごとが四の五の言うことはない。

 私が気にとめているのは「プロとして染織で生活をしていこう」としている若者である。染織の学校に通い、工房で修行を積み、染織で自立しようとしているが、躊躇している人、すでに作家として自立しているが、なかなか作品が売れなくて、バイトや派遣社員になって生計の足しにしている人。
手仕事を手織を仕事にしている方にエールを送りたくて 老婆心ながらこのコラムを綴ってゆこうと思う

http://www.kuzufu.com/cn64/pg459.html

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2015年6月 2日 (火)

すすきと葛布

すすきと葛

2015/06/02

昨日 私の母校である静岡聖光学院の元先生でもあり ススキの研究家である小林克美先生の訪問を受けた。

私がススキの事を知りたいと思い 乞うて来ていただいた。

何故私が、すずきに興味があるのかと言えば、葛布の発酵の室床にススキを利用する。

今まで葛の生態については 非常に興味を持って調べてきたが、ススキについては皆無であった。 しかし ススキがなければ 葛の発酵はできない。稲藁で代用できるが、稲は秋に収穫されるので 次の夏まで保存しなければならない。

ススキを使った室床の制作は その葉に着く枯草菌が発酵を促すことが判ってきた。

枯草菌は 38℃前後で 発酵し セルロース繊維を分解し 養分がなくなると胞子を形成する。

 葛を煮た後、蔓を冷まして、ススキの室床に入れると 人肌ぐらいに温度が上昇し、

発酵をはじめる。発酵で葛の表皮を分解して、溶かしてゆく。表皮を溶かし終えると

胞子の形成をはじめる。 この際、発酵を長くすると 靱皮繊維(葛の繊維)まで

溶かしてしまうので、繊維の強度が弱くなる。

 発酵の状態を見ながら 室床から出すタイミングを計る。

さて、ススキが無いと葛の発酵ができないのだが、そのススキの生態を伺う為に長年ススキの研究をしてきた小林先生にいろいろ伺った。

ススキの原産は東南アジアといわれているという。いつ頃日本に入ってきたか不明であるが既に平安時代には秋の七草として取り上げられているのでかなりふるいようだ。

ホツマ伝え(古代文字で書かれている日本の歴史書、真贋がはっきりしない)には

天照大神が 葛の葉に薄の穂がぶつかって音をたてているのを見て「葛垣打琴」(かだがきうちごと)という日本最初の楽器を作り出したとの言い伝えがある。

さて、草原にひろがるススキの原。大自然の風景といえるが、実は人間が介在しなければ

ススキの原は 2,30年で滅んでしまうと小林先生は言う。

ススキは最初は種子が風に舞って遠くに子孫を増やすが、その後は株の分けつによって

繁殖する。 しかし株が大きくなってゆくにしたがって、枯葉が堆積しそれは容易に分解されないことから 株を覆い、次第に勢力が亡くなってくるという。

 ススキは人間か刈り取るか、野焼きをしなければ あんなススキの原は出現しないのだという。つまり すすきと人間は共存関係であるという驚愕の事実が判明した。

・・・とするなら ススキは人間が農業に使うために持ち込んだ可能性が大きいのではないだろうか。

そもそも亜熱帯、熱帯が原産のススキだが 適応性が強く、今では成長の速度や方法を変えて 北海道などの亜寒帯にまで繁殖している。しかしこれも人間が持ち込んだと考えれば納得がいく。

 最近世界農業遺産に登録された「茶草場農法」は茅場を茶畑の周辺に作り、ススキを

刈り取って茶畑に入れ肥料にする。その茅場を「茶草場」と 静岡大学の稲垣教授が名付けその茶草場が生物多様性の宝庫で有ることを発見する。(詳しくは茶草場農法を検索)

この茶草場農法を視察に来た 元徳島農業大学校の副校長、野田靖之先生は

徳島 吉野川の流域の農業との類似性を 指摘した。徳島でもススキを農業に利用する。

兼ねてから 阿波忌部氏が この静岡に渡来してきた遺跡(神社)を忌部の研究家林先生と一緒に調査をしてきた。 私の周辺でいえば 牧ノ原市の 服部田神社、掛川日坂の

事任八幡宮、森町小国神社 島田掛川にまたがる 粟ヶ岳、 その山頂の阿波波神社

などがそうであるが、 葛布との関係も深い。

 阿波忌部氏は 大麻を普及させたと名高いが、私は大麻だけでなく、農業技術全般を移入してきたとおもっている。その土地にあった物をそこで技術移入したのではないか?

 静岡の遠州地方東部には葛布を伝承させたのではないかと思う。

そして、その際に ススキも持ち込んだのではないだろうか?

葛布発酵の為のススキ  茶草場農法のススキ 徳島吉野川流域の農業

並べてゆくと 古代の人々が 我々の考えて居る以上に 自然のいとなみ、共生関係を把握していたのではないかと 驚く。

ススキの教えを乞うた小林克美先生は私の母校、中高の先生(直接は教わっていないが)、徳島の忌部農法を教えてくださった野田先生は私の大学(香川大学)の先輩にあたる。

どうも 大きな因縁の中に私は泳がされている気がしてきている。

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2015年5月18日 (月)

チップス先生さようなら

長男の部屋に「チップス先生さようなら」の文庫本があった。中学生になって買った本だという。 重版が平成5年 すくなくとも 私が買った本ではなかった。
懐かしいので 読み始めた。イギリスパブリックスクールの教師 チップス先生のお話である。
 読んでもないのに懐かしい とは この原作の映画が公開されたとき、学校の先生に推薦されて見に行ったのだ。 1シーンに 新入生の名前をみて 「××」の息子だな と言ったチップス先生 があった。 私の母校に 息子二人をいれてみて 同じ先生に 教えていただいたことがあった。その時この映画を思い出した。
先生という職業も いいな。

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