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2007年9月 5日 (水)

粟が岳サークル

我が工房の西北西に この辺りでは一番高い 粟が岳(あわんたけ)という山がある。山頂には阿波波神社が鎮座している。巨石古墳群も山頂にある。ここに登ると西は浜松市、浜名湖、遠州灘、南は御前崎 浜岡の原発、
東は牧ノ原から 大井川の河口、駿河湾、伊豆半島まで望める。
 前からうすぼんやりと思っていた事なのだが、この山の周りに古代の葛布の生産地が点在していたのではないか。
粟が岳のすぐ南には 日坂の宿。ここは昔から葛布を生産していた。我が工房の葛の採り方も基本的に
日坂の方法だ。 我が街金谷(今は島田市に併合)との境は 小夜の中山  江戸時代の古文書「製葛録」のなかでは そこで葛粉を生産していたという。粟が岳 西の麓には 倉真という所がある。ここも葛の生産されていたところである。
 山の南西には 掛川がある  昔から掛川の葛布として有名である。
 それで 我が工房に来た方には 粟が岳 の周りに葛布の生産が集中していたと今まで説明してきた。
「何故 ここしか葛布がなかったのか」 しばし訊かれる質問にも、
「小高い山や岡があって、葛の生育によかったこと、水が豊富、東海道が通っていて、商品として流通」と
説明してきた。
  でも こんな条件がそろっているところは 何も掛川だけではないはずだ。

本日 所用で 日坂の外れにある 事任八幡宮にお邪魔した。
そこで伺った事は 古代祭祀を受け持った 忌部氏が古代 この地方に船で来たそうだ。
この地方の一番高い山に 斎場をもうけて それを祭った。それが事任八幡宮のはじめだそうだ。
だから「粟が岳」は 「阿波が岳」である。阿波忌部が祭った山である。
 となると この山の周りに葛布の生産が行われていたことは 偶然ではないだろう。
阿波忌部は麻の生産技術の普及をはじめ、農業、工業の技術を持った当時のハイテク集団である。
ここに移り住み、粟が岳を祭った阿波忌部が 葛布の技術をこの地方にもたらしたと考える事が
できよう。
 ここにのみ伝えたので ほかの葛の生育の条件が整っているところでも葛布の歴史がない理由であろう。

森町に「葛布の滝」(カップたき)というところがあり、行者が滝に打たれて、きれいな繊維になった葛から葛布を作る事を村娘に教えたとの伝説がある。粟が岳と 少し離れているが 、じつはここに 事任神社と縁の深い小国神社(おくにじんじゃ)がある。 ここも阿波忌部であるという。小国=阿国のことであろう。きっと 粟が岳を目標に上陸した
忌部氏が その後奥地に向かい 小国神社を建立した。彼らは葛布の技術を持っていたので この地方にも
葛布をもたらしたのではないか。
 どちらも現在の産地とされる掛川宿から 離れていはいるが 等距離である。
掛川城ができたおり、城下町に産業、商業を集積させるたため 葛布問屋ができ、江戸時代に全国的に
有名になったのだと思う。
 忌部氏がもたらした技術が葛布作りの技術であった可能性は高い。

平安時代 貴族が着ていた葛布の衣装は ひょっとしたら この地の阿波忌部が作り 朝廷に納めていたかもしれない。かなり独占的に行っていた可能性はある。
今後の研究が待たれる。

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