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2007年9月 5日 (水)

瀬島龍三氏

瀬島龍三氏が亡くなりました。どんな方か知らない人のために
以下TBSニュースからです
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3649730.html
「瀬島龍三氏、老衰のため自宅で死去
 旧日本軍の大本営参謀から大手商社の会長、そして政界のブレーンと幅広い顔を持ち、「昭和の参謀」とも呼ばれた瀬島龍三氏が老衰で亡くなりました。95歳でした。
「僕も行政の改革やら国鉄の改革やら、いろんな改革、政府の仕事もしましたが、改革というのは必ず痛みが伴う」(瀬島龍三氏〔1993年3月〕)
 太平洋戦争時は大本営の陸軍参謀として作戦の立案に参加した瀬島龍三氏。終戦後、シベリアで11年間抑留生活を送りました。帰国後、伊藤忠商事に入社し辣腕を奮いましたが、陸軍参謀本部の組織をモデルに直属の部下を率いたことから「瀬島機関」とも呼ばれました。
 1981年からは、いわゆる土光臨調の委員として国鉄や電電公社の民営化で中心的な役割を果たし、中曽根元総理の「ブレーン」としても名を残しました。
 戦中、戦後の日本に大きな影響力を及ぼした瀬島氏ですが、水面下の活動には多くの謎が残されたままです。(04日18:13)」

■今から10年ほど前 京都の経営セミナーで講演を聴きました。評価は分かれますが、れっきとした歴史上の人物です。
わたしは早速講師控え室に押し掛け、名刺交換をしました。
私の名刺を見て「君も龍かね。 橋龍(橋本龍太郎当時総理大臣)も「龍」の会に入っているよ。キミもどうかね?」と声をかけてもらいました。
 冥福をお祈りします。

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コメント

瀬島龍三さんは偉大なお方で私利私欲が無かった、祖国日本と昭和天皇のためにその身を捧げ、終戦後は、伊藤忠商事の発展、臨調での国鉄、電電公社の民営化、晩年は教育問題への寄付など、

瀬島さんの書籍で語っておられますよ、決して戦争肯定派ではなかった、本土決戦派でもない、シベリア抑留は日本北域(東北、北海道)の統治を求めたソ連に、米国が4か国統治案を原爆投下後に米国だけで統治するとこにしたことの代わりに、シベリアに日本兵の労働力60万人の抑留を求めた結果だと、

よく戦犯とか保阪なにがしが、悪い評論でメシ食っており、それがために瀬島龍三さんがあたかも悪いイメージ、フィクサー、政商のような評価を受けておりますが、瀬島龍三さんの偉業を理解するにはご本人の書籍もお読みになることをお薦めします。

享年95 簡素なお住まいとご書斎で、最後まで教育に関わり続けた、凄いお方です。

ご近所に住んでおります。

投稿: 小野 透 | 2009年1月 1日 (木) 15時14分

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4日死去した瀬島龍三元伊藤忠商事会長は、戦前の大本営参謀としての経験を生かし、戦後の自民党政治の深奥で、時の首相のブレーン的存在として力を発揮したことで知られる。特に中曽根康弘元首相との関係が深く、中曽根政権時代の83年の首相電撃訪韓の際には首相の密使も務めた。  戦後、11年間のシベリア抑留を経て帰国し、58年に伊藤忠商事に入社。専務、副社長、会長と上り詰める過程で、政権政党・自民党の実力 ... [続きを読む]

受信: 2007年9月 5日 (水) 07時48分

» 参謀、瀬島龍三 [山本勘助は軍師、瀬島龍三は参謀]
訃報は元伊藤忠の会長で昭和の名参謀と呼ばれた瀬島龍三さんだったその夜テレビの各局はコメンテーィターやジャーナリストの人たちが口々に瀬島さんの戦前からの歩みを紹介し大本営作戦参謀として開戦から、各戦地、終戦工作の関わり、自身の抑留生活を経て40歳すぎてからの商社に入社その活躍と後年中曽根内閣時代の土光臨調や韓国への特使としての歩みなどとあわせて紹介していたそして大本営参謀本部にいて日本が太平洋戦争に突入していった経過やさまざまな作戦に関与していたものが、旧日本軍に関する証言を戦...... [続きを読む]

受信: 2007年9月 6日 (木) 15時35分

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