Happy wedding
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結婚しました!という絵はがきが届いた。北国でからむし織りに取り組んでいたSさんだった。
昨年10月に 近くに行ったときは 会えなかったので心配していたが・・・。
良かった! おめでとう! 妻と一緒に喜んでしまった。
織物を目指している女性のなかで 結婚を考えていない方が多い。
一昨年の春 織物を目指す女の子に 女将さんは「織物より結婚したら!」と宣った。
言われた彼女は一瞬ぽかんとしていたが、家に帰って 「こんな事言われた」と親に話したら
両親は 「全くその通り」だと喜んだ。その3日後に彼女に運命の人が現れた!
一年後の昨年7月めでたく結婚 相手も染織関係の素敵な男性(男の私がほめるほど)
そう 結婚と織物と 両立できるのです。いや 結婚した後に才能が伸びるのです。
もちろん障害もあるでしょう。がそれを乗り越えたときに よい布ができる気がします。
昨年 手紡ぎ木綿をやっているTさんからも結婚と引っ越しの挨拶がありました。
そこへ彼女の結婚報告・・・。今年は染織関係で結婚ブームが来るかな?
とにかく 寒い冬に あったかな お知らせだった!
皆さんにも 絵はがきお裾分け。
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日本の援助隊、ミャンマー入り=本隊派遣を前に事前調査
5月25日23時0分配信 時事通信
【バンコク25日時事】サイクロンに見舞われたミャンマーの被災者救援に向け、日本の国際緊急援助隊医療チーム調査団のメンバーが25日、ミャンマー入りした。同国への援助隊派遣は初めて。医療チーム本隊の派遣に先立ち、事前調査を行う。
調査団は外務省や国際協力機構(JICA)の職員ら4人で構成。約1週間滞在し、ミャンマー当局と情報交換しながら、被災地で必要とされている医療活動を調べる予定。
BS NHKの海外向け英語放送でも金井さんが出演していました。
右側が金井さん Doctor Kanai と紹介されていました。
また 今朝のNHKで政府関係者と会談する彼も写っていました。
ミャンマーでは医療援助以前に軍事政府との折衝など 様々な苦労をするでしょうが がんばってほしいと思います。
ミャンマーの被災者にはやく十分な援助をしてあげたいですね。
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今 仙台にいます。朝のNHKニュースを見ていたら 日本のミャンマー医療支援団長のインタビューが出ていた。なんと金井さんではないか。金井さんは九州に住んでいるのだが、私の次男坊の同級生のお父さんである。長男が入っている吹奏楽部に息子さんも入っていて、父兄会や、学園祭などでお目にかかっている。昨年は学校の課外講座での講師としても来ていただいた。
国際医療のお仕事をされていることは知っていたが、いま話題のミャンマー医療支援の団長さんとは
。軍事政権下、やっと海外の支援を受け入れたミャンマー政府だが、いろいろ問題が発生するだろう。
健康に気をつけて、無事に職務を果たしてほしい。陰ながら活躍をお祈りします。
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県文化奨励賞を島村氏が受賞したことの続き。
島村君は早い頃から自分の進む道を決め、ひたすらブレずに建築で身を立てようとしていました。
自分のアート的建築が理解できる人を求めて、若い頃から一流の人と交わってきていました。
イメージを作ることはとても上手で、20代の頃から髭をはやし、スタンドカラーのシャツを着てアーチストとした雰囲気をもっていました。
その当時 インテリアコーディネイトの仕事をしていた私は彼と仕事をしながらイメージ作りの重要性を学んだのでした。今私が髭をはやしているのも半分は彼の影響です。
彼の奥さんはまだ結婚する前から まだ彼が設計事務所立ち上げて、ろくな仕事もなくぶらぶらしていた頃から、彼の事「先生」と呼んでいました。之も彼の成功の一因であると思っています。彼女の中にも彼のイメージが、立派な設計士のイメージが出来上がっていたのでしょう。
私の奥さんにも見習って欲しいものだと常々思っていますが・・・・。
自分のイメージを妥協なく現実化する彼の仕事をみていて、私も自分で創る仕事をしてみたくなってきました。その当時の私の気持ちが 今葛布を創っている私に繋がっていると思っています。
ありがとう 島村君 そしておめでとう!
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◆島村さんら3氏に文化奨励賞 美術、音楽で振興貢献
2008/04/29 静岡新聞
県教委はこのほど、芸術や学術を通じて本県の文化振興に貢献した個人や団体に贈る本年度の県文化奨励賞に美術(建築)分野で静岡市葵区の建築家島村芳三さん(51)、音楽(バイオリン)分野で埼玉県上尾市の東京芸大器楽科1年長尾春花さん(18)=掛川市出身=、美術(日本画)分野で東京都北区の日本画家松井冬子さん(34)=森町出身=を決定した。
島村さんの主な設計作品は静岡聖光学院オラトワール、溝口病院、エチゴビールなど。APEC(アジア太平洋経済協力会議)からAPECアーキテクトの称号を与えられ、国際的な活動をしている。長尾さんは第6回江藤俊哉バイオリンコンクールジュニアアーティスト部門1位を史上最年少で獲得し、掛川など県内の演奏会にも数多く出演している。松井さんは絹地に古典的な描画法で対象を忠実に再現する画法が特徴。「醜」を「美」となす気鋭の日本画家として、今後の活躍が期待されている。
本年度は16件(個人15、団体1)の推薦があった。授賞式は5月27日に県庁で行われる。
このたび 友人の島村君が栄誉ある賞を受賞しました。
彼とは中学高校と同級生で、卒業後も公私ともにおつきあいをしています。
私もとてもうれしく思いました。
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本日12月21日付け 静岡県下の新聞の折り込み情報誌「さんらいふ」に「今流ほのおの楽しみ方」と
して火鉢にで私の記事が掲載されました。ご覧ください。
火鉢のHPはここ
毎朝、火鉢と練炭火鉢を熾す事が私の仕事となっています。
皆さんも手軽にほのおを手に入れる事ができる 火鉢をお試しあれ。
記事の詳細はここさんらいふまで
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瀬島龍三氏が亡くなりました。どんな方か知らない人のために
以下TBSニュースからです
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3649730.html
「瀬島龍三氏、老衰のため自宅で死去
旧日本軍の大本営参謀から大手商社の会長、そして政界のブレーンと幅広い顔を持ち、「昭和の参謀」とも呼ばれた瀬島龍三氏が老衰で亡くなりました。95歳でした。
「僕も行政の改革やら国鉄の改革やら、いろんな改革、政府の仕事もしましたが、改革というのは必ず痛みが伴う」(瀬島龍三氏〔1993年3月〕)
太平洋戦争時は大本営の陸軍参謀として作戦の立案に参加した瀬島龍三氏。終戦後、シベリアで11年間抑留生活を送りました。帰国後、伊藤忠商事に入社し辣腕を奮いましたが、陸軍参謀本部の組織をモデルに直属の部下を率いたことから「瀬島機関」とも呼ばれました。
1981年からは、いわゆる土光臨調の委員として国鉄や電電公社の民営化で中心的な役割を果たし、中曽根元総理の「ブレーン」としても名を残しました。
戦中、戦後の日本に大きな影響力を及ぼした瀬島氏ですが、水面下の活動には多くの謎が残されたままです。(04日18:13)」
■今から10年ほど前 京都の経営セミナーで講演を聴きました。評価は分かれますが、れっきとした歴史上の人物です。
わたしは早速講師控え室に押し掛け、名刺交換をしました。
私の名刺を見て「君も龍かね。 橋龍(橋本龍太郎当時総理大臣)も「龍」の会に入っているよ。キミもどうかね?」と声をかけてもらいました。
冥福をお祈りします。
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